05.05.07
ハプニングだらけ[鑑賞記録(映画、舞台、その他)]
ドレスデンから戻った翌日は祝日(メーデー)。今度は日帰りの予定でハンブルクへ。
目的は昨年の「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」以来、大ファンになってしまったcosmosの
コンサート(この記事を見て頂けると分かります…)。
あれから、9月にポツダムで行われたコンサートにもしっかり行ったし(そん時は最前列だった)、
相方が仕事でラトビアに行った時にはちゃっかりCD調達をお願いし、アルバムもすべて揃えて
しまった。
cosmos自体も「ユーロビジョン…」以降、認知度が上がったらしく、元から知られていた旧ソ連の
各国以外にも、イタリアの音楽祭に招かれたりして着々と活動範囲を広げている感じ。そんな中、
ドイツでのコンサートは2度目ということで、わくわく気分で行ったらば、これが何と中止。
…でも、幸か不幸かこの「中止」以外にもハプニングだらけだったのだ。
その1
そもそもハンブルクに向かう途中、ICE(新幹線みたいなモン)が一時間近くにわたって立ち往生。
なんでも路線付近で火災があって、消火活動・延焼の可能性などの理由で列車の往来が出来
なくなってしまったのだとか。コンサートの2時間前に到着予定だったので、焦る焦る。
その2
何とか列車も走り出して、ハンブルクに到着。会場に着いたのは開場時間ぴったり。夕方の公演
だったので、本当は食事したかったのだが…と思っていたら。音響設備が不調で、セッティングに
もう少し時間がかかると言われる。
開演が30分遅れることに。
その3
気分的にも落ちついて開演を待っていたところ、スピーカーが復旧せず、公演するにふさわしい
音響効果が得られないという理由で、主催者が中止を発表。あちこちからブーイング。「ミュンヘン
から来たのに!!」と言う人は主催者に、もう少し粘ってみるよう交渉。中にはラトヴィアから来たと
おぼしき"追っかけ"も。
その4
それから30分経っても状況は変わらず、「中止」の決定も変わらず。払い戻しが始まって、帰る
人もちらほらと…と言う時、主催者がやってきて「コンサートは中止になったけれど、cosmosの
メンバーが皆さんに会ってお詫びに数曲披露したいと言ってます」と言うではないかっ。
そこにいた皆、玄関ホールに降りて彼らの登場を待つことに。
その時の様子がこれ。
コンサートが中止で「Don't worry, Be happy」とは、シャレがきついわ。
その5
マイクもないのに歌ってくれるなんて、コンサート以上に珍しいことじゃないかと感激していると、
終了後、サインが欲しい人はぜひというので…ええ、行ってしまいました。年甲斐もなく。
何にもなかったので手元の手帳にサインをしてもらう。昨年のポツダムにも行ったことを伝えると、
そこで歌っていた曲(「ポツダムのみなさんようこそ!」みたいな内容)をその場で歌ってくれるなど、
本当にサービス精神がすごい。
結局一緒に写真まで撮ってもらい、ちょっと興奮気味のままベルリン行きのICEに乗り込んだワシ。
コンサートは中止になったにもかかわらず、cosmosのメンバーには会えた上、曲は聴けたし、
サインはもらえたし、写真も撮ってもらった。
その上チケット代も返ってきたのだから、もう訳がわからない。中止になったのに、それ以上の
収穫があったハンブルク行きでした。
いつか日本にも来てくれんかなあ…。

上(左から):Andris Sējāns(カウンター・テノール)、Jānis Ozlos(バリトン)、Jānis Strazdiņš(バス)
下(左から):Juris Lisenko(テノール)、Jānis Šipkēvics(カウンター・テノール)、Reinis Sējāns(リズム)
写真はラトヴィア観光局のサイト内「Sounding People」よりお借りしました。
06.08.05
『ヒトラー~最後の12日間~』[鑑賞記録(映画、舞台、その他)]

現在公開中の映画『ヒトラー~最後の12日間~』。
実は劇場ではなく、ドイツ語版DVD※(しかもなぜか2枚組の方を買ってしまった)でしか
鑑賞していないのだが、日本版の公式サイトが盛り上がっているようなので、話題になっている
うちに感想を書き留めておく。
テーマは邦題の示すとおり、ナチス・ドイツを率いたヒトラーが自殺に至るまでの12日間の様子。
彼の秘書を務めた女性、トラウドル・ユンゲの回想録『私はヒトラーの秘書だった』と、ドイツの
歴史家ヨアヒム・フェストの『ヒトラー 最期の12日間』をもとに描かれていて、ヒトラーの姿や
愛人のエヴァ・ブラウン、ゲッベルスといった、彼を取り巻く人々は、とても"人間臭い"。
1945年4月、ソ連軍の勢力はベルリンまで達し、陥落はもはや時間の問題と思われていた。
ベルリン市内は戦場と化しており、300万人もの一般市民が、混乱の中を逃げまどっている。
帝国の官邸地下にある巨大な防空壕には、第三帝国の本部が設置され、ヒトラーをはじめとする
幹部達が集まっていた。
帝国のナンバー3であるヒムラーでさえも、ヒトラーに対してベルリンからの脱出を勧めるという
厳しい状況にも関わらず、ヒトラーはその言葉に耳を貸そうとはしない。
実現不可能な逆転のシナリオを描き、作戦会議で熱弁を振るおうとするが、幹部達の反応は鈍く、
時には困惑の表情すら浮かべる者もいる。
思い通りに動かない部隊に対する苛立ちを部下にぶつけるヒトラー。現状を省みず、犠牲になる
一般市民への同情や配慮すらもたない総統への戸惑いと畏れ。そしてナチスの最後を予感した
者たちが一人、また一人と去っていく。
次々と部下の裏切りにあい、怒りと孤独をますます強めるヒトラー。あと数キロでソ連軍が
防空壕にまで到達するという厳しい状況に、ヒトラーは自殺を決意。
愛人のエヴァ・ブラウンと簡素な結婚式をあげ、翌日ゲッベルス夫妻や秘書達に別れを告げ、
妻となったエヴァとともに自らの命を絶った。
…ストーリー自体は以上のように単純で、まるで再現ドキュメンタリーみたいな印象。
ヒトラーの姿や振る舞いにまつわる話や、彼の最後については多少なりとも知っている人が
多いだろうけど、機会があれば見て欲しいと思う。文字通りヒトラーの「人間」としての姿、それから
組織崩壊の物語が描かれていて結構面白く観た。2時間半はあっという間。
圧巻なのはやはりヒトラー役のガンツの演技&ゲッベルス夫人による我が子毒殺シーン。
とりわけマグダ・ゲッベルスを演じたCorinna Harfouchの演技は大層鬼気迫るもので、目が釘付け。
…であの相変わらずのクールな表情、結構好き(どうでもいいけど彼女、旧東ドイツの女優さんで
ドイツ統一直後は再び「無名」に近い存在になってしまったそうだが、数年後には再びトップクラス
の女優として復活。女オンナしてない、あの凛とした雰囲気が好きです)。
**********************************
しかしヒトラーを「人間」として描いた作品…これは本当にわかりやすい…が多少厄介だ。
後で述べることにも関連するが、結局この作品が大きな話題になったのは(公開劇場では連日
大入りらしい)、人間としてのヒトラーを映像化したこと、しかもそれをナチスそのものについて
語るという事自体「タブー」とされてきた(ことになっている)、ドイツ発のものだったと言うことに
尽きる。
公式サイトによれば、イスラエルでは批判めいた反応があったそうだが、それもうなずける話。
…そりゃそうだ。だってヒトラーは時折、とても優しいんだもん。
これまでだと、ヒトラーに対しては神経質で気性が激しく、冷血…狂気的な何かを発散する
ような存在というイメージがあった。しかし、秘書ユンゲの回想録にも描かれる姿を見ていると、
彼は普段、実に温厚で、気配りの行き届いたもてなしをする人だったようだ。
作品中にも出て来るが、初めての仕事で彼女がタイプミスを連発した時にも、ヒトラーは激昂
するどころか、彼女を辛抱強く励まして、勇気付けていた。
また、自殺の相談を(多少冗談めいてはいたが)皆でしている時に、ヒトラーは秘書連に毒薬
入りのカプセルを手渡すのだが、その際彼はユンゲに「こんなものしかプレゼント出来なくて
申し訳ない」…なんてことすら言っているのだ。
作戦会議で部下を前にして絶叫するヒトラー(こちらの方が大方のイメージに近いのではないか)
とは、かなりの隔たりがある。
ヒトラーが激しい感情をぶつけるのは、大抵が帝国のエリート幹部達だ。
士官学校を卒業した、まさに彼が育て上げたといっても過言ではない彼らは、ナチス・ドイツを
引っ張っていく重要な人間だ。
一人、また一人と自分の元を去っていく部下達は、ヒトラーにも多かれ少なかれある種の予感が
あったようだ。ある者にはいつもカネの噂が付いてまわったし、またある者は常にこそこそと動き
回っていようだし…。
しかし、ナンバー3であるヒムラーが自分を裏切り、勝手に連合国との交渉を画策していた事を
知った時、また帝国都市の理想を共有していたシュペーアも、別れの際、ヒトラーの命令を無視
した過去を告白したが、その時のヒトラーの衝撃と落胆は想像するに余りある。
誰もが帝国の完成を夢見、自分の下にやってきたはずなのに、皆、去ってしまう。
自分自身が誰よりも純粋に、ゆるぎない帝国建設の実現に向けて働き続けてきたにもかかわらず、
自分のすぐ傍にいて、ナチスの理想を最も良く知るはずの者達が去っていく。ある者は金に目が
くらみ、ある者は女に溺れ、ある者は栄誉を欲しがる。
「よりにもよって…!!」という絶叫が、それを口にしたものの孤独と絶望をよくあらわしている。
裏切るとまでは行かなくとも、ヒトラーに疑問を抱いた幹部達は、大抵ベルリンの一般市民の
事を案じていた。抵抗する術を持たず、ソ連軍に対する恐怖の中を逃げまどい、それでも
総統が最後には大逆転するのだと信じているドイツ国民達。
「残念だが同情はできん。民衆が自ら選んだ運命だ。そもそも我々が強制した訳でもないのだ!」
…皮肉なことに、ヒトラーに疑問を抱かず、まっすぐについてくるゲッベルスだけがこんなセリフを
吐ける。勿論ヒトラーも同じような言葉を口にする。「ここで滅んでしまうようならば、我が民族は
その程度のものだったということだ。そんな弱い民族は滅んでしまった方が良いではないか」と。
ヒトラーとゲッベルスはまさしく同一化していたのかもしれない。
なんと言えばよいのか分からないのだが、ヒトラーを基準にすれば、幹部達が欲にくらみ、自己
保身という裏切りに走った者は、結局自分を見捨てた。反対に忠誠を貫き通した者は民衆を見殺し
にする…。外から見れば、小さな「悪」をおかして、ヒトラーという「巨大な悪」から逃げた者と、忠誠心
という小さな「善」を貫いた者が、民衆を見殺しにするという残酷極まりない「悪」に手を貸すという
図がなんともやりきれない。善の中の悪、悪の中の善。
結局の所、民衆を見捨てた指導者は、最後に運命からも見捨てられてしまった訳だが、あんな
裏切り方をされていくヒトラーには少し同情すらしてしまう。
…それにしてもヒトラーに同情を起こさせるような描写というのは、これまで「ヒトラー=ナチス=
絶対悪」、「何が何でも悪」と信じ込んできた人々には都合の悪い話だ。
…こう書くと、すぐに噛み付いてくる人がいる。「お前はヒトラーが悪人じゃないとでも言うのか?」
そうじゃない。今更ヒトラーに好々爺的印象を持ったところで、彼の行いやそれに対する歴史的な
評価は代わらないし、作品内でも度々出てきていたように、一般市民が爆撃の中逃げ惑う姿は
胸が締め付けられる。
そもそも「私」がこんな思いをしなくてはいけないような戦争なんて真っ平だ。
…そうじゃないのだ。ある行動やその結果について、私達が善悪を判断するのはたやすい。しかし
人間についてはそう簡単にはいかない。Aさんの中のここからここまでは「善」で、ここからは「悪」
なんて線引き、できるわけが無い。自分の中の混沌とした善と悪。
問題なのは自分と「悪」を切り離して考えることが平気で出来てしまう人間、自分だけはそのように
なることはないと信じている人間がどれほどいるかということ。
そして、それが一番危険なのではないかということだ。
アウシュビッツでユダヤ人を「処分」した後、我が家に戻った高官がモーツァルトを好んで聞き、
子供にはこの上なく優しい父親として過ごしていた…私達はよく、"ナチスの恐ろしさ"として
こんな話を聞かなかったか。しかし、これはナチスではなく人間=私達(あえて言うなら「私」)の
恐ろしさとして聞くべきだったのかもしれない。ある一定の「異常な」状況下では、私もやすやすと
そんな人間になってしまうのではないか…そんなことを考えて恐ろしくなる(これについては姜尚中
と森達也による対談集『戦争の世紀を超えて―その場所で語られるべき戦争の記憶がある』を
お読み頂けるとわかるのではないか。敵を「人間」ではなく「害虫」という認識で捉えてしまうと、
たやすく相手を殺せてしまう。「害虫駆除」という感覚に、人間はいとも簡単に慣れてしまう)。
悪に「悪」というレッテルをはるのはたやすいが、悪を「悪」と決め付けて、わが身を省みない
「正義」は実にお手軽だ。
そういえばこの作品の監督は以前に「es」という作品も作っているが、これも衝撃的だった。
詳細はどこかで見ていただくとして、この時も、普通の市民が「囚人」と「看守」のロールプレイング
を行った時に、看守役の行動が加速度的にエスカレートしていく様を描いた、なんつーか、陰惨な
映画だった。見た直後は、人間不信というか、自分不信に陥りかけた。
…しかしわからないのは人間だ。この混沌とした存在、ヒトラーを通してそう感じる。
人間の中に内在する、悪の可能性。自分も然り。
・最後までお読みくださった方、お疲れ様でした。
何だか初めに書こうとしていた事からずいぶん離れてしまった気が…(汗)丁度あささんという方の
『逃避日記』というブログに言いたかったことに近い記事がありましたので
ご紹介させていただきます。
※ちなみにドイツ語版のDVDには、英語字幕とドイツ語字幕、さらに視覚障害者のための音声案内
(情景とかの説明)まで付いてます。。…ドイツ語学習にも役に立つのではないかしら。
また2枚組版の特典ディスクには、約一時間に及ぶメイキング、主要登場人物のインタビュー等、
約3時間の映像が収録されています。日本語版はさすがにここまで出来ないかな…?
※なお、冒頭の写真はドイツの映画情報サイト『film.de』よりお借りしました。はーっ、長ぇ。
10.06.05
『タトゥー』[鑑賞記録(映画、舞台、その他)]
『ドイツ映画祭2005』もいよいよ終盤。8作目は『タトゥー』(サイトは英語)を鑑賞。
ちょっとサイコっぽいので、気になっていたのだ。

ベルリンの新米刑事、マルク。警察学校をなんとかギリギリの成績で卒業した彼は、
事務職を希望している。朝から晩まで一生懸命事件を追うなんて真っ平。できるだけ
楽な仕事をして、無駄な力を使いたくないと思っている。
そんな彼に目をつけたのは殺人課のミンクス。数日前にクラブで強制捜査を行った際、
マルクが現場にいたことを知っているのだ。…そのクラブではドラッグの売買が行われて
いて、マルクはその場から何とか逃げおおせたが、警官と格闘した際、上着を置いてきて
しまったのである。上着にドラッグを残したまま。
そしてマルクは殺人課に配属となる。
ある日女性の死体が発見された。表向きは交通事故で、車にはねられた後、炎上した車の
炎を受けて黒コゲになっていた。ところが解剖をすすめると、彼女の背中の皮がはがされて
いることが判明する。遺体に残された証拠から、容疑者と思われる人物の居所を突き止めるが、
捜査の途中、家の庭で新たな死体が発見される。
そしてその遺体にも、皮膚を切り取られた跡があった。
被害者達の切り取られた皮膚にはタトゥーがあったことから、連続殺人の線で捜査を進める
マルク。やがて、タトゥーを売買するマーケットがあることを知り、なかでも天才的な彫師、
ヒロミツの作品は高額で売買されていることに気づく。ヒロミツは12の作品しか残さなかったが、
その残された作品の「持ち主」は皆失踪もしくは死亡していた。
マーケットとの接点を求め、被害者のヒロミツで犯人をおびき寄せようと試みるマルクとミンクス…。
ダークな話にふさわしく、画面も全体的に暗く、ベルリンの街並みも無機質で乾いた感じに
描かれている。雨のシーンも多く、雰囲気を一層重苦しい緊張感でつつむ。音楽も、主人公の
住む世界にあわせてクラブ寄りで、ちょっと危険なベルリンの地下世界を上手く演出している。
描写的には冒頭からグロくてショッキングな映像が登場するので、ダメな人は多いかも。
怖いものダメな人はお勧めせず。ただ逆に現実感が無さすぎで、怖くないひともいるかな。
また、伝説的彫師の作品の割には繊細さを全く感じない刺青も多く、そっちの方での不満が
なきにしもあらず。
全体的に緊張感を持続させようとしているのは分かるけど、中だるみ感も多少あり。
雰囲気は嫌いではないんだけどねえ…。
アウグスト・ディールは、若手俳優の中ではドイツで一・二を争う実力と人気があるらしい。
今回の映画祭でも3作品が上映されているが(『青い棘』と『9日目』)、どれもプライドが高く、
野心もあって、表面的には落ち着いているが、何かの拍子にぽっきり折れそうな危うさを持った
役柄ばかりで物足りない感じがしたのも確か…でも似合うんだけどね、こういうの。
もっと違う面が見てみたいものです。
…そういえば作品中、マルクが電車の中で怪しいジャンキーを見かけて尾行するシーンが
あるのだが、彼らが下車するのがなんとシュテークリッツ駅。…『青い棘』とのリンクを考える
のはあまりにも深読みだけど(こっちの方が制作年早いし)、一人で発見して、ほくそえんで
しまった。
あと、警察の女警部役で、モーリッツ・ブライプトロイ(『ラン・ローラ・ラン』『es』『アグネスと
彼の兄弟』)のお母さん、モニカ・ブライプトロイが出演していました。
日本ではすでにDVDが発売されているので、(本当に)興味のある方はどうぞ。
08.06.05
『ワン・デイ・イン・ヨーロッパ』[鑑賞記録(映画、舞台、その他)]
『ドイツ映画祭2005』は日程的にも、私のスケジュール的にも折り返し地点。
今日は『ワン・デイ・イン・ヨーロッパ』を鑑賞(リンク先は英・独語)。

この作品は"盗難と保険"をテーマにした4つの物語。ある同じ日に、ヨーロッパの4つの都市で
起きる事件が描かれている。それぞれの舞台となっているのはモスクワ(ロシア)、イスタンブール
(トルコ)、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)そしてベルリン(ドイツ)。
●モスクワ●
欧州チャンピオンズリーグの決勝戦当日。会場となるモスクワの街には、決勝を戦うガラタサライ
(トルコ)とデポルティーボ・ラ・コルーニャ(スペイン)のサポーターが続々と集まっている。
仕事でモスクワを訪れたイギリス人、ケイトはタクシーをホテルへと走らせるが、運転手は
人気のない住宅街の前で車を止めて、ここから先へは行けないという。「このままずーっと
まっすぐ」という運転手の言葉を信じ、荷物を引きずりながら歩き出した途端、なんとケイトは
強盗にあってしまう。
あっという間に一文無しになってしまった彼女が途方にくれていると、一人の老婦人がやって
きて、しきりに話しかけてくる。婦人は英語が分からないし、ケイトはロシア語が理解できない。
とりあえずケイトは電話を貸して欲しいと身振り手振りで伝えるが…
●イスタンブール●
ベルリンの学生、ロッコはドイツへの帰国を明日に控え、イスタンブールの街を散策する。
街にはガラタサライの旗があちこちではためき、サポーターは大声を張り上げている。
ロッコは治安のあまり良くないクンカピで盗難にあったと嘘をつき、タクシーで警察へ向かおう
とするが、タクシーの運転手は街で聞き込みをすると言って、あちこち車を走らせる。
やっと署までやってきて、運転手を追い払い、保険のための証明書を発行してもらえると
思ったロッコだったが、どうやら警察官は彼に疑いを抱いているようだ…
●サンティアゴ・デ・コンポステーラ●
ハンガリーの巡礼者、ガボールはサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の前で写真を
撮ろうとしていた。彼は通りがかった男性に声をかけ、撮影を依頼する。大聖堂の扉は
とても有名なもので、ガボールはその扉もぜひアングルに入れて欲しいと注文を付け、
距離をとるべく大聖堂へ近づいた。これでよしと振り向き、笑顔を作るが、カメラを持った筈の
男は忽然と消えていた。カメラには500に及ぶ巡礼の記録が詰まっているのに!
困ったガボールは、近くにいた警官に助けを求める…
●ベルリン●
クロードとラシダはフランスから逃げるようにやってきた大道芸人。借金もあるし、カードも
止められているのに、大道芸で入るお金はほんのわずか。おまけに車の調子も良くない。
困り果てたクロードが、ある提案をする。ベルリンのどこか治安の悪い地域に行って、強盗に
襲われた振りをして保険金をゲットしよう、というのだ。
ラシダは"ヨーロッパ一治安の良い都市"ベルリンでそんなことが出来るはずがないと反対
するが、クロードは聞く耳持たず、ガイドブック片手に治安の悪い地域へと向かう…
ヨーロッパと一言でいうけれど、それぞれの国があって、メンタリティがあって、言語がある。
どれか一つでも違うと、お互いの理解はぐっと難しくなる。全く異質なものと出あった時に
起こる、一種の化学反応…ある時は親近感であったり、混乱や不安や疑いであったり
…そういったものを切り取って差し出している作品だ。
登場人物の台詞にユーモアを感じる場面が多いが、どの作品も、決してハッピーエンドに
終わるわけではなく一筋縄ではいかない。そのコントラストも面白い。
(…正直に言うと、この作品は国が違うとか言語が違うという「舞台装置」が上手く働いているだけ
なのではないかというギモンは残るけれど、アイディアは出したモン勝ち、作品は楽しんだ者
勝ちだね)
基本的にはサッカーがメインでは無いのだが(監督も言ってた。「これはサッカー映画では
ありません」って)、サポーターの歌声や騒ぎを聞いていると、なんだかドイツの居酒屋で
サッカー中継を見ていたときのわくわくした感覚を思い出す。元気が出てくる感じ。
…サッカーはヨーロッパ人のDNAに組み込まれているのかもな。
また、それぞれの都市が美しい。どの町もテレビや写真で見るような場所だけでなくて、
ちょっと寂しい郊外も映し出されているので興味深いし、それが一層、「よそ者」の感じる
不安に効果を与えている。…それにしても最後、やっぱりベルリンの街並みを見るとホッと
します。
物語中に出てきた4つの都市はなんと、監督が好きor気になる都市で、それを使って映画が
作れないか?ということころからスタートしたらしい。なんちゅうか…いいねえ。
監督はポジティブそうな人だった。サインも喜んで応じてくれて、パンフ以外にも自ら持参
したカードにサインをしたためてくれた。…ベルリン映画祭の折、ヨーロッパ各国へは映画が
売れたといっていたから、日本でも売りたいんじゃないかな…売れたらいいね。
ちなみに『グッバイ・レーニン!』で主人公アレックスの親友を演じたフロリアン・ルカス
さんが出演してます。
ところで上映中、メールを打っている姉ちゃんがいて、非常に迷惑した。後ろから舌打ちも
聞こえてたが、あんまり気にしていなかった様子。外で打ってくれや(途中で出てったけど)。
暗い所での携帯電話のディスプレイは思った以上に視界に入ります。頼むわ、ホンマ。
※文中の写真はドイツ版公式サイトよりお借りしました。
07.06.05
『アグネスと彼の兄弟』[鑑賞記録(映画、舞台、その他)]
『ドイツ映画祭2005』の4作品目は『アグネスと彼の兄弟』(リンク先はドイツ語です
…あしからず)。

アグネスと彼の兄弟…"彼の"というのはアグネスが元は男性だったから。母親の記憶が無く
エキセントリックな父親との思い出をまだらに共有する三人(それは一致したことがない)。
長男ヴェルナーは「緑の党」に属するやり手の政治家で、時期環境大臣と目されている。
目下の所リサイクル法を成立させることに心血を注いでいるが、多忙さのゆえか、家庭は
崩壊寸前。
家庭を省みない夫に対して、冷たい妻と息子。二人はべったりで、文字通り共依存。
…彼はそんな家族が面白くない。
次男のハンス=イェルクは一見まじめな図書館員だが、実は過剰な性欲に悩んでいる。
上司に資料作りを頼まれているのに全くはかどらない。露出の多いおねーちゃん達が
視界に入ってきて、それどころじゃないのだ。本棚の隙間から、階段の下から、果ては
トイレで覗きを繰り返す。セックス依存症のテラピーをもう何年も受けているが、一向に
良くならない。彼は自分の病気の原因は、父にあると思っている。父が幼いアグネスに
性的に虐待しているところを目撃した、そのトラウマだというのだ。
末っ子のアグネスは、夜な夜な出歩くことに腹を立てた同居人に追い出され、路頭に
迷っているところを拾われて、今はクラブでダンス・クイーンとして働いている。
ある日彼女は病院の検査で引っかかってしまう。彼女は不治の病に冒されていたのだ。
…そんな時アグネスは、自分の住むケルンの街にある人がやってくることを知る。
それは、「マルティン」だった彼を「アグネス」へ変えるきっかけとなったひとだった。
家を出て行くという妻に、泣き喚くヴェルナーは駄々っ子そのもの。そこには政治家としての
自信は微塵もない。強烈な甘ったれ。
覗き行為が見つかり、精神の限界に達したハンス=イェルク。病の根本原因を"取り除き"、
ポルノ男優へと転身を図る。そこで出会った運命の女性。
成功した昔の男に対しても、アグネスは抑制的だ。それは病の故なのか、それとも彼女の
生来の性質なのか。
この作品では、性転換した人物を「当たり前の存在」として描くという意図があったと聞くし、
知人にもそういう人はいる。アグネスにも違和感はあまりないのだけれど、それでも生まれ
ながらにして「女」の肉体をもっている人間とは違う。特に冒頭、モノクロの画面で、カメラに
向かって母親のことを語りかける人物は、まだどちらかと言うと「彼」だ。
しかし物語が進むにつれて、「彼」はやがて誰よりも美しい「彼女」に見えてくる。それどころか
一癖もふた癖もあるような男と女ばかりが出てくる画面の中で、彼女が一番まともで一番
「純粋な姿と魂」をもっている事に気づく。
上映前に挨拶があった。アグネスを演じたマルティン・ヴァイス氏が舞台にあがって、
この作品はどのカテゴリーにも属さない映画で、登場人物たちの感情を感じ取ることに
心を使って欲しいといっていたけれど、確かに混沌とした映画だ。
みんな強烈で、真っ当人は殆ど出てこない。時々暴発する感情と露悪的な描写の渦の中で、
揺らぐことなく立ち続けているのは、アグネスだけだ。
私にはあっていたようで、この作品はこれまで映画祭で鑑賞した4作品中で一番印象に
残った。上映後には彼は出てこないと言うことだったので、残念な気分。
一回目にこの作品が上映された日曜日は、サイン会と質疑応答が行われたと聞いていた
ので、なおさらもったいないことをした気持ちになっていた…のだが。
…しかし「偶然」ってすごいわ。
上映後、有楽町阪急で『かまわぬ』の手ぬぐいが販売されていたので、プレゼント用に幾つか
見繕った後、先月銀座に初進出なった『エコール・クリオロ』の"ジュレ・ウィルキンソン"
(ジンジャーエールを使ったゼリー♪)を求めて銀座は松○屋へと足を進めていると、丁度
シ○ィバンクのある交差点で信号に引っかかった。もう一方が青だったので渡ろうとした時、
シテ○バンクの前で、観光客らしき外国人が2人立っていた。
あれ、あれあれ~?…やっぱりそうだ!アグネス(ことマルティン・ヴァイス)だ!!
そのうち信号が変わって、アグネス(←ヲイ)が一人でこっちに向かってきたので、
私は思わず近づいて、「あのっ、すいません、ヴァイスさんですよね?!」と声をかけてしまった。
彼は一瞬はっとして、次の瞬間には首を左に傾げながら(…それは話をよく聞こうと耳を貸す
仕草のようだ)、「そうですよ」と、優しい目をして握手をしてくれた。
実はまさに先刻、貴方の映画を観てきたのだというと驚いた様な顔をして、それから
はにかんだような笑顔になった。
上映後の挨拶がないと聞いて残念に思っていたのだけれど、とサインをお願いすると
快く応じてくれた。「それで作品は気に入ってくれましたか?」なんて言いながら…。
彼の足元には紙袋が二つ置いてあったので、「お買い物なさったんですね」なんて聞いてみると、
「ドイツにはMUJIがないでしょう?だから思わずいろいろ買ってしまって…」と、ちょっと
照れくさそうに話してくれた。彼もヨーロッパの若者らしく(?!)無印良品に興味があるのね。
アグネスとのギャップを殆ど感じない、柔らかな物腰と落ち着いた話し方で、静けさをたたえた
ような人だった。
話したいことはたくさんあれど、なんせ頭の回転に久々のドイツ語(話す方)がなかなか
ついてこれない。上手くいえないもどかしさも残しつつ、あまり拘束するのも何なので
丁度手元にあった手ぬぐいをプレゼントした。「え、これホントに僕にくれるの?」と、驚いて
いたが、日本の伝統的なタオルで、早く乾くしいろいろ使えますよ~…なんつって渡したら
喜んでもらってくれた。
『かまわぬ』の中でもちょっと面白い、故ナンシー関さんの「おじぎ部長」という絵柄(笑)。
かつての「じゃぱにーず・びじねすまん」の典型的なイメージだな。はっきり見たい人は
ナンシー関著『耳部長』の表紙をご参考に(この絵がずらり、なのだ)。
…部長、ドイツに出張だよ。
可愛いたぬきの絵柄もあって、本当はそっちをあげたかったたのだけど(「たぬき」=
「他抜き」、つまり他より抜きん出るという意味があるらしく、まさに俳優業には相応しい?)、
「たぬき」という単語が浮かばなかったのはなんとも情けない限り…トホホ。
おまけにドイツの洗濯機って基本的に高温で洗うから、手ぬぐいなんて一発で縮みそう。
…大丈夫かしら。なんか不安になってきた。使ってくれるといいんですが。
『アグネスと彼の兄弟』は、今年のドイツ映画賞にノミネートされた様子。強敵が多いので
(『ゾフィー・ショル』や『9日目』、『ベルリン・僕らの革命』など)どうなることやら。
残念ながら日本での公開は未定。好きになる人はいると思うんだけどね…。作品についての
監督のインタビュー(日本語)もどうぞ。
それから『かまわぬ』と『エコール・クリオロ』についてはそれぞれまた後日にゆっくりと。
※文中の写真はドイツの映画情報サイトよりお借りしました。
05.06.05
『ゾフィー・ショル―最後の日々(仮)』[鑑賞記録(映画、舞台、その他)]
一つ前のエントリーで書いた『青い棘』の後に上映されたのは『ゾフィー・ショル―
最後の日々(仮)』。
この作品はベルリン映画祭で銀熊賞を受賞したそうで(監督部門と主演女優部門)、
そのためだろうか、今回の『ドイツ映画祭2005』のオープニング作品に選ばれた。
この作品は実話で、「白バラ抵抗運動」に携わったゾフィー・ショルを扱っている。
舞台は1943年2月、ナチス政権下のミュンヘン。ハンス・ショルと妹のゾフィー・ショル
を含めた数人の学生が、ある地下室のアトリエで懸命にビラを印刷している。
ここは学生を中心とした「白バラ運動」の活動場所。ここからドイツ各地に向けて、
反ナチのビラが発送されているのだ。
…普通の市民には到底信じられないようなドイツ軍の不利な戦況や蛮行が記され、
ナチスへの抵抗を呼びかけるビラが。
2月18日の朝、ミュンヘン大学でのビラ配布を買って出たハンスとゾフィーは、廊下や
研究室の前にビラを置いている所を管理人に見つかり、身柄を拘束されてしまう。
二人は別々の部屋で、国家秘密警察(シュタージ)の取り調べを受けることになる。
モーア審問官を前にして、当初は自分にかけられた容疑を否定するゾフィーだったが、
兄・ハンスが自白したと知るや否や、彼女は自分が「白バラ」の一員であることを認め、
他のメンバーを守り抜こうとモーア審問官に食い下がる。
ナチを批判し、法を侮辱する彼女に共感は出来ないが、モーアはゾフィーの堂々と
信念を語る姿に何かを感じ、彼女の罪を軽減すべく取引をもちかける。
…しかしその申し出をも、ゾフィーは毅然として拒否する。
ゲシュタポで囚人となったゾフィーの心を暖めるのは同室のエルゼ。彼女に婚約者の
事を語りながら眠りにつくゾフィー。神と良心に従う生き方を理想とし信念としながら、
自らの立場を貫き続ける彼女だったが、ベッドの中では、神に向かって祈らずには
おれない。…神さま、どうかお守り下さい、と。
残る希望は公開裁判で自分の、そして「白バラ運動」の信念を聴衆に向かって
語ることのみだった。そうすれば、きっと学生達は立ち上がってくれる…。
2月22日、ゾフィーとハンス、そして仲間のクリストフの姿が人民法廷にあった。
公開裁判とは名ばかりで、被告人以外はすべてナチの制服を着ている。将校たちだ。
ヒトラーから最高判事に任命されていたフライスラーがベルリンから呼ばれ、3人は
「国家反逆罪、国防意欲喪失に手を貸し、利敵行為を行った」という罪状で起訴された。
…裁判の行方は始める前から決まっていた。3人は死刑を言い渡される。執行猶予なし。
家族との面会を果たし、ハンスとクリストフに別れを告げ、彼女はギロチン台へと消えた。
…その後、他の白バラのメンバーも逮捕され、処刑されるか収容所送りとなった。
ちなみに「白バラ」の作ったビラは、ノルウェーからイギリスを経て、イギリス空軍によって
ミュンヘン上空にばら撒かれたという。
話はゾフィーが身柄を拘束されてからギロチン台に消えるまでの5日間を追っているので、
『白バラ運動』について全く知らない人が見たら多少戸惑うかも知れない(とはいえ日本で
公開されたら、観に来るのはやはり興味をもっている人が主だろうから大丈夫?!)。
また、こういったドイツ・ナチス時代のものは日本人結構好きだし、反ナチスに倒れた
人々の話なんかも散々見たり聞いたりする機会も多いだろう。
どっかで同じようなものを見たような感じがして、イマイチ・・・と言う人もいるかもしれない。
それでも私は、時間があれば是非観て欲しいと思う。
特にゾフィーがモーア審問官の取調べを受ける場面は、法を秩序を重んじるモーアと
神と良心に基づいた生き方を理想とするゾフィーのやり取りに、印象深い台詞が
ちりばめられている。
このやりとりを観ていて、頭の片隅に浮かんだのはなぜか立川ビラ配布事件だった
(とはいえ実はあんまり詳しいことしらんのですがね)。
今の日本は確かに「平和」かもしれない。けれども「自由」な国なんだろうか?確かに皆が
みんな自分の自由を主張しはじめるとキリがない。でも法や秩序はいつまで私達を守り
いつから私達を迫害するようになるのだろうか?
…そんなことを頭がかすめ、「法は変わっても、心は変わらない」という台詞が印象に残った。
ラストが近づくにつれ、場内のあちこちで泣いている様子が伺えた。
ベルリンでもすすり泣きが会場を満たしたと言うけれど、それは決して大げさではなかった。
上映後の挨拶で監督が語っていたが、今回の作品の製作過程で、過去の資料とは徹底して
向き合ったとの事。おかげで新事実が続々らしい。
東ドイツ崩壊後に公開された資料に混じっていたのを探し出し、当時の天気を調べ、
ゾフィーとゲシュタポの牢屋で同室だった女性が遺族に送った手紙をあたり、生存する
関係者にも丁寧なインタビュー調査を行った。
ロケ地も史実に忠実で、ビラ配布の舞台となったミュンヘン大学、ハンスとゾフィーの住居、
また住居から大学へと向かう道や裁判が行われた場所などはすべて現存し、そこで撮影を
行ったそうだ。
また裁判のシーンは、ナチスがプロパガンダ用に撮影したものの、あまりにも怖い印象を
大衆に与えるため使用しなかったという映像を発掘し、大きな発見になったそうだ。ドイツ
市民ですら、本当にそんな裁判が行われていたとは知らず、衝撃を受けたらしい。
おまけにラストで3人を処刑したギロチンも、ウィーンにある本物を運んできて撮影に使用
したと聞いて、びっくり。だって、過去に何千人もの首を切ってるんやで…(画面の端に
何か写ってなかったやろね?!)。
それからも監督は熱く語ってくれた。
監督のおばあさんはアマチュアのスポーツ選手だった。オリンピックに出たい一心で、
国家(ナチス)の援助が欲しくて、「ハイル・ヒトラー!」と言っていた…。
彼女は決して犯罪者や殺人者ではない。ナチスに対して確信的ではないが、結果として
協力者だったのだ。ゾフィーのように声をあげる勇気がなかっただけなのだ、と。
もちろんおばあさん自体は良いひとで、監督自身も大好きだった。
モーアだってそうだ。昔の世なら、自分が警察の審問官になれるなんてありえない。
自分を守ってくれる国なのに(そしてかれはそう信じている)、それに守られていながら
「ノー!」というのか?…とゾフィーに問いかける。
監督自身が戦後生まれなので、ナチの戦争責任に対しては直接には感じにくい(ようだ)。
しかし、ゾフィーのような人がいたことは語りつがれなくてはならない、その責任はあると
語っていた。
2006年の春ごろには日本でも公開されるとの事。
※文中の写真はドイツ語版公式サイトからお借りしました。
04.06.05
『青い棘』[鑑賞記録(映画、舞台、その他)]
実は今年は「日本におけるドイツ年2005/2006」で、それにちなんだ行事を多く見かけるし
テレビでもドイツの事を取り扱っているのを目にする機会が増えた…ように思う。
6月4日から有楽町マリオンにて『ドイツ映画祭2005』が開かれていて、
腰痛も良くならないうちから行ってきた。
ちょっと仕事に暇が出来たから、はりきって10作品券なんぞ買っちゃった…。

初日に上映されたのは『青い棘』という作品。
1927年のドイツで実際に起きた、学生の集団自殺事件(「シュテークリッツの学生の悲劇」
として、当時のメディアを大いに賑わせたそう)がベースになっている。
ベルリンのギムナジウム生、パウルとギュンターは親友だった。
ギュンターはお金持ちの息子で、外へと向かう強い情熱とエキセントリックな魅力を持ち、
他方のパウルは裕福な育ちではないが、内に秘めた情熱と、豊かな才能を持つ詩人だった。
育ちこそ違えど、お互いを深く理解していた二人はあるものを求めていた。
人生に最高の幸福というものはあるのだろうか?
最高の瞬間があるのだろうか?
完全な「愛」はあるのだろうか?
もし本当にそれがあるとしたら?
…そしてそれをやがては感じられなくなっていくとしたら?
だとすれば、僕達は一番美しい時に、この世を去るべきだと思わないか?
ギュンターの提案に深く共感したパウルは、二人で「自殺クラブ」を結成する。
―もし、愛を感じられなくなったとしたら、自らこの世に別れを告げること
―自分達から愛を奪ったものへの復讐として、そのものをも道連れにすること
親の居ぬ間を見計らって、彼らはギュンターの別荘で時間を過ごす。
そこにはギュンターの妹、ヒルデがいた。実はパウルは彼女に思いを寄せているが、
彼女はそんなパウルにつれない。
彼女はパウルの事を憎からず思っているのだが、一人に縛られるのはイヤ。
もっと自由に、何人もの男に愛されたいし、愛したいのだ。
目下、そんな彼女と一番親密なのはコック見習いのハンス―兄・ギュンターの
かつての恋人だった。
その夜、ギュンターの別荘でパーティーが開かれる。ギュンター、パウル、ヒルデと
友人達が集まり、アブサンと音楽に酔いしれる中、ハンスも姿を現した。
快楽を愛するハンス。ハンスを愛するギュンターとヒルデ。ヒルデを愛するパウル。
パーティが最高に盛り上がる中、彼らの緊張も次第に高まっていく…。
上映後に監督も語っていたが、「青春」という普遍的なテーマの表現としてはうまく
出来ていると思う。
ある時は全能感に満たされ、自分が世界の中心にいるような気持ちを味わったかと
思うと、次の瞬間には、自分はこの世界には必要ない、塵みたいな存在だと思って
みたり…そんな一瞬一瞬うつろう青春時代の気持ちが、俳優陣の視線であったり、
風景や音楽に良く表れている。
しっかし金持ちで暇があるとロクな事しねえな…というのが正直な感想(わー、台無し)。
1920年代はワイマール時代と呼ばれ、ドイツ・ベルリンは丁度文化の爛熟期。
二つの戦争の狭間で大きく咲いた花は、退廃の香りを放っている…そんな雰囲気が
画面からあふれる作品。映像の美しさと音楽が調和していて、いい感じです。
『恐るべき子供たち』とか好きな人にはいいかも。
それにしても配給会社ってすごいわ。いかにも若い女の子が気に入りそうなタイトルと
コピーつけちゃうし。上手いなあ。
少年愛・ギムナジウム好きな子にはストレートど真ん中だわな(そういうのが好みの子には
多少物足りないかも)。
監督がこぼれ話として紹介していたのが主演の二人について。
主演はダニエル・ブリュールとアウグスト・ディールだったのだけど、実は世界的に
成功した『グッバイ、レーニン!』には、もともとダニエル・ブリュールではなく
アウグスト・ディールが主演の予定だったらしい。
結局アウグスト・ディールが断ったために、ダニエルにお鉢が回ってきたんだそうな。
もしも断ってなかったら、どんな作品になっていたのだろう??見てみたかったな。
また監督は上映後、サイン会を開いてくれた。続けてもう一本見る予定だったし、
順番待ちの列が長いのであまり話は出来なかったが、笑顔で応じてくれた。
ねぎらいの言葉をかけてくれ、一人一人名前を聞いて、きちんとサインに宛名を書いてくれた
(聞きなれない日本人の名前なのにね)。
今秋渋谷のBunkamura ル・シネマで公開予定(どうでもいいけど現在上映中の作品は
二本ともダニエル・ブリュールが出ている…ダニエル祭りだ~♪)。
※文中の写真はドイツ版公式ページよりお借りしました。
