09.05.07
ホステル+オスト=[ベルリン・ドイツの話題]
数年前に流行った「オスタルギー」という言葉は、「ノスタルジー」と「オスト(東)」を組み合わせた
造語だが、映画『グッバイ・レーニン!』前後に起こった現象にピタリとはまった。
当時の「オスタルギー」は、主に旧東ドイツ出身者たちが中心だった。彼らにとってリアルな生活
体験が、政治やそのほかの要因を基準に、ああだこうだと難癖を付けられることに抵抗があったの
だろうと思う。映画のヒットをきっかけに、「オスタルギー」は爆発的な力になって、TV番組まで登場
する有様に。やがてブームは去っていったけれど、昨年オープンした「DDR博物館」のように、
旧東ドイツ時代のモノや習慣を懐かしみ、面白がる人たちのおかげで、"DDR"は特にベルリンでは
観光に欠かせない要素となった。土産物屋にもDDRグッズが並ぶようになったし、旧東のメーカー
だけを扱う店もある。
そんなベルリンにまた一つ、オスタルギー施設が登場。その名も「DDRホステル・オステル」。
要するに「ホステル」と「オスト」を掛け合わせたネーミングの宿泊施設だ。部屋のカテゴリーは
3つあるけど、ホステルだけあって料金は安い。
Pionierlager
(ピオニーレ・キャンプ)と名付けられた6人部屋は、一泊一人あたり9ユーロから。
Plattenbauwohnung
(プレハブ・アパート)は、二人部屋で一人一泊22ユーロ~(エキストラベッド対応可)
STASI-Suite
(シュタージ・スイート)は一泊30ユーロ(盗聴装置が用意されているとかいないとか)
内装に使われている家具や照明はDDR時代を彷彿とさせる上、チェックイン時にはウェルカム・
カクテル(その名も「ホーネッカー・パンチ」)のサービスも。
また施設内の売店では、DDRグッズも販売しているそうな。アクセスもベルリン・オスト駅のすぐ
そばなので、「オスタルギー」の世界にどっぷり浸かれること間違いなし(?!)。
個人的にはSTASIよりPlattenbauが可愛いと思う。本当に『グッバイ・レーニン!』に出てきた部屋と
よく似ているし…話のタネに一度泊まってみたいもんです。
※部屋の写真は「オステル」HPよりお借りしました。
07.05.07
ハンブルクもチラ見[旅行・見物記]
せっかく行ったハンブルクは、初めてだったにもかかわらず日帰りのため、観光する時間がほぼ
ゼロ。会場のホールは中央駅から2キロくらいの所にあったので、帰りに中心部をちらっと見て
戻ってきました。
その時の写真をとりあえずはっときます。

市庁舎。
ドイツ第二の都市という割に、中心部は意外とコンパクトな印象。駅にたどり着くまでの間にも、
教会が並ぶ風景を見て、なんだか旅情が湧く。ベルリン、少なくとも我が家のある地域に教会は
見あたらないので、鐘の音が聞こえないのだ。そんな些細なことで、違う土地に来たことを感じる。

こちらは市庁舎のすぐそばにある水門。内アルスター湖とハンブルク港を結ぶ。
日曜日の夜(明るいけど午後8時)なので人気もほとんどなく、あたりは静か。
ハンブルクは「活気のある街」というイメージがあったので何だか不思議。だけど、この静けさも
すごく似合う。
ベルリンからそう遠くないので、また来よう。
05.05.07
ハプニングだらけ[鑑賞記録(映画、舞台、その他)]
ドレスデンから戻った翌日は祝日(メーデー)。今度は日帰りの予定でハンブルクへ。
目的は昨年の「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」以来、大ファンになってしまったcosmosの
コンサート(この記事を見て頂けると分かります…)。
あれから、9月にポツダムで行われたコンサートにもしっかり行ったし(そん時は最前列だった)、
相方が仕事でラトビアに行った時にはちゃっかりCD調達をお願いし、アルバムもすべて揃えて
しまった。
cosmos自体も「ユーロビジョン…」以降、認知度が上がったらしく、元から知られていた旧ソ連の
各国以外にも、イタリアの音楽祭に招かれたりして着々と活動範囲を広げている感じ。そんな中、
ドイツでのコンサートは2度目ということで、わくわく気分で行ったらば、これが何と中止。
…でも、幸か不幸かこの「中止」以外にもハプニングだらけだったのだ。
その1
そもそもハンブルクに向かう途中、ICE(新幹線みたいなモン)が一時間近くにわたって立ち往生。
なんでも路線付近で火災があって、消火活動・延焼の可能性などの理由で列車の往来が出来
なくなってしまったのだとか。コンサートの2時間前に到着予定だったので、焦る焦る。
その2
何とか列車も走り出して、ハンブルクに到着。会場に着いたのは開場時間ぴったり。夕方の公演
だったので、本当は食事したかったのだが…と思っていたら。音響設備が不調で、セッティングに
もう少し時間がかかると言われる。
開演が30分遅れることに。
その3
気分的にも落ちついて開演を待っていたところ、スピーカーが復旧せず、公演するにふさわしい
音響効果が得られないという理由で、主催者が中止を発表。あちこちからブーイング。「ミュンヘン
から来たのに!!」と言う人は主催者に、もう少し粘ってみるよう交渉。中にはラトヴィアから来たと
おぼしき"追っかけ"も。
その4
それから30分経っても状況は変わらず、「中止」の決定も変わらず。払い戻しが始まって、帰る
人もちらほらと…と言う時、主催者がやってきて「コンサートは中止になったけれど、cosmosの
メンバーが皆さんに会ってお詫びに数曲披露したいと言ってます」と言うではないかっ。
そこにいた皆、玄関ホールに降りて彼らの登場を待つことに。
その時の様子がこれ。
コンサートが中止で「Don't worry, Be happy」とは、シャレがきついわ。
その5
マイクもないのに歌ってくれるなんて、コンサート以上に珍しいことじゃないかと感激していると、
終了後、サインが欲しい人はぜひというので…ええ、行ってしまいました。年甲斐もなく。
何にもなかったので手元の手帳にサインをしてもらう。昨年のポツダムにも行ったことを伝えると、
そこで歌っていた曲(「ポツダムのみなさんようこそ!」みたいな内容)をその場で歌ってくれるなど、
本当にサービス精神がすごい。
結局一緒に写真まで撮ってもらい、ちょっと興奮気味のままベルリン行きのICEに乗り込んだワシ。
コンサートは中止になったにもかかわらず、cosmosのメンバーには会えた上、曲は聴けたし、
サインはもらえたし、写真も撮ってもらった。
その上チケット代も返ってきたのだから、もう訳がわからない。中止になったのに、それ以上の
収穫があったハンブルク行きでした。
いつか日本にも来てくれんかなあ…。

上(左から):Andris Sējāns(カウンター・テノール)、Jānis Ozlos(バリトン)、Jānis Strazdiņš(バス)
下(左から):Juris Lisenko(テノール)、Jānis Šipkēvics(カウンター・テノール)、Reinis Sējāns(リズム)
写真はラトヴィア観光局のサイト内「Sounding People」よりお借りしました。
02.05.07
どこかで誰かが[翻訳系]
日本はGWで、なんだかのんびりしているのかもしれないが、こちらはメーデーにあたる5月1日
が休みなだけで、あとは全く普通に世の中が動いている。
どこかで誰かが休んでいる間に、どこかで誰かが働いている…ということで、GW明けに納品される
予定の翻訳のチェック業務がやってきた。チェック自体はこちらに来てからやっていないので、
かなり久々。しかも日本語原稿は初めてだ。
もともと自分が担当するはずだった原稿なのだが、週末はドレスデン、昨日はハンブルクへ行く
予定が元々入っていたので、生意気にも断ってしまった。じゃあせめてチェックだけでも、と言って
頂いたので、引き受けることに。これまで英語原稿やドイツ語原稿は見たことがあったが、日本語
翻訳者さんの原稿をみるのは初めてなので、勉強になるかもと思って受けたという次第。
実際やってみるとこれがなかなか辛い(笑)担当している翻訳の出来云々ではなくて(勿論それで
辛いケースもあるだろうけど)、「力の入れ具合」が分からないので困る。
つまりどこまでいじっていいのか。
明らかな誤訳は問題外だけど、そうじゃない場合というのは結構「好み」の問題だったりすることも
多い。そんなところを直し始めたりするときりがないし、もちろん翻訳者さんだってあんまり良い
気はしないだろう。「私だったらこうするのに…」と思う反面、「添削じゃないんだから」とも思う。
品質管理として「読みやすい日本語」に仕上げるのは大事だけど、翻訳者さんの文章を生かす
ものでなくては、な~んて。
他人の「思い通りにならない」訳文をいじるなら、「私がはじめからやっとけば良かった」なんて思う
のは、これはやはり母国語だから?ドイツ語のチェックの時は、文法や訳抜けばかりに眼が行って
美しい訳文かどうかまで思いがいたらなかったものなあ。
まあこれも客観的にみる立場だから何とでもいえるのだが、自分が翻訳者の場合だと、納品後に
チェッカーさんが自分の訳文にどんな判断を下しているのか考えると、身のすくむ思いがするって
こともあるモンだし。
どこかで誰かが翻訳している間に、どこかで誰かが訳文に悪態をついている…のかも。(コワー)

