14.08.06
ニセ麦茶[気になるグッズ]
友人宅でお茶をご馳走になった時、気になる飲み物を見つけた。
彼女が「こどもコーヒーでいい?」と言うので、なに?「こどもびいる」みたいなもんか?!
…な~んて思いつつ尋ねてみると、まあ、いわゆるノンカフェインの「代用コーヒー」な訳だ。
「代用コーヒー」というと、「タンポポコーヒー」を思い出す人もいるかも知れない。
特に戦中・戦後でコーヒーの輸入がままならなかった時代、食糧難の時代には、人々は随分
知恵を絞ってコーヒーに似た味わいの飲みものを作り出していた訳だが、まさか今でも普通に
飲まれているなんて!と、正直驚いた。昔の小説の中だけと思ってたわ。
彼女はあまりコーヒーが好きではなく、他の人のように、一日に何杯もコーヒーを飲む気がしない
らしい。実際ドイツ人はかなりのコーヒー好きで、しょっちゅう飲んでいるものだから、胃を荒らす人も
多いみたい。そういった人や健康に気を使う人が今でも普通に飲み続けているという。
実際にポットの中から漂う香りはコーヒーに似ているが、どちらかというと麦茶のような香ばしさに
近い気がする。何も入れずに飲んでみようと思ったのに、目の前に出されたティーカップには、
すでにミルクがたっぷりと注がれていた。「お砂糖は?」「(うげっ)…ああ、いらないや」
一口飲んでみる。コーヒーと思って飲むとパンチが足りず、麦茶と思って飲むとミルクがどうにも
邪魔。「日本の麦茶に似てるけど…大麦を焙煎して煮出すんやけどね~」…そういうと、彼女の
目が輝いた。「これ、原料は大麦だよ!」
…そういえば昔、私はコーヒーが嫌いだった。日本にはまだスターバックスなど存在せず、カフェ・
オ・レがまだまだ「おしゃれ」な飲み物だった頃、「コーヒー=アメリカン」だった。そして私はその
アメリカンが大嫌いであった。もともと紅茶党だったので、コーヒーを進んで飲もうとは思わない上、
時々飲むのがあのアメリカン。家族が喜んで飲むあの味わいは、どうやっても私には「麦茶の
できそこない」にしか思えなかった。
そんな考えが変わったのは、10年前の事だ。ドイツでの生活。友人の家で飲んだコーヒーを美味い
と感じた。何が違うのか?…水、豆の挽き方等々、いろいろ違いはあるんだろうけど(でも友人が
高級なコーヒーを飲んでいたとは思えないし)、要するにこちらのコーヒーは日本の一般家庭や
近所にあるような喫茶店よりも濃かった。
な~んだ、私、コーヒー嫌いじゃないんだ。濃い目が好きだったんだ。
…そんな話をしていると、昔感じた「コーヒーと麦茶は何となく似ている」という気持ちが再び湧いて
きて、思わず口に出してしまった。
「これ薄めたらさー、麦茶の代用品っつーことでウチで飲めるかも」
「代用コーヒー」を「代用麦茶」として飲む、という事を彼女はえらく面白がっていた。
さて早速帰り道、スーパーにてゲット。
ネス○が出している「Caro」という商品。他にも「ラテ」、「チョコ」味もあるが怖くて買えない。
砂糖、ミルクを入れるとより一層美味しく…云々書いてあるが、入れるもんか。
まずは作り方どおり淹れてみる。蓋を開けると茶色の粉。少しきめの荒いココアのよう。匂いは
どこかで嗅いだような匂いがするんだけど…(ちょっと乾物系?!)。ティースプーン1~2杯とあるので
その通りカップに入れ、お湯を注ぐ。見た目は黒っぽく、確かにコーヒーに見えなくもないが、香りは
やっぱり麦茶に似てる。
口にしてみるとやっぱり「濃すぎの麦茶」っぽいので、お湯をどんどん足して調節。見た目も味も
麦茶に近づけていく。ちょっと甘みがあるけれど、なんとかそれなりに。
…大体スプーン半さじくらいが適量かも。
以降、我が家では「ニセ麦茶」と呼ぶことに。
13.08.06
影も形もあるかもしれない[旅行・見物記]
8月に入ってから、こちらはすっかり涼しくなった。日本でいうと、丁度10月頃の爽やかな気候に
似ている。雨の日も増えてきて、街を行く人もジャケットを着ているのが増えた。
それでもテレビや雑誌では「夏!」「ナツ!」と言っているし、ドイツ人は相変わらずアイスを食って
いるが、もうアイスを食うには肌寒い気がするのが日本人としての正直な実感。
確かにカレンダー上は夏なんだけどさ。
そんな雨降る日曜日、ベルリン近郊のオラニエンブルクまで足を伸ばす。相方が車をゲットしたので
練習を兼ねて、アウトバーンを往く。目的地はザクセンハウゼン強制収容所。
収容所への入り口。
言わずと知れたアウシュヴィッツ、そしてダッハウの入り口にも掲げられていた「Arbeit macht frei
(働けば自由になれる)」のスローガンがここにも。
…しかしこの文句の白々しさはなんだ?と、こういった類の場所に来る度に思う。
電流の流れる鉄条網の前にはドクロマークの看板と共に警告が。「Neurtal Zone」とありながら、
容赦なく撃つぞとも書かれている。1961年に復元。
実際中に入ってみると、だだっ広ーい印象。というのも殆どの収容等は残っておらず、いくつか
建っているバラック棟も、当然だけど、後に復元されている。
小雨の降る中を、とぼとぼと歩く。
復元されたそれぞれのバラック棟の中では、収容者の生活ぶりといったテーマに沿った展示が
行われていた(英語&ドイツ語)。
しかし復元された建物って、壁も綺麗に塗られていて、何かのセットのようにしか見えないのは
私だけ?…と思っていたらどうやら92年にネオナチに放火されたのだという。左側手前、ガラスで
カバーされている所が当時の焼け跡。
棟内に入ると、油のような臭いが鼻についた。
ここには当初、国内の政治思想犯や同性愛者などが収容されていたが、戦争が進むにつれ、
シンティやロマ、ユダヤ人やポーランド人も送り込まれるようになっていった。
独房棟の横には拷問・処刑に使われたと思われる木柱がぼんやりと立っていた。
後ろ手に縛られて、2.5メートルの高さの柱に吊るされる…想像する前にもう、顔をしかめたくなる。
手前は独房の跡。そして奥の壁には犠牲者のための追悼碑がいくつも取り付けられている。
残念ながら修復中で見られなかったバラックもあったが、一番印象に残ったのは生体解剖室。
幽霊やそういった類はあまり信じないタイプだが、ここだけは写真を撮る気にはなれなかった。
なぜなら建物に入る前、入り口横にあるスロープを見てしまったからだ。他のバラックには当然
無いもので、きっとここから遺体を運び出したんだな、という事は容易に想像できる作りだった。
「病理実験」と称して、生きたままの収容者を切り刻んで死に至らしめるつもりだったのが傍目にも
分かるじゃないか、と思いつつ中に入る。
薄暗いバラックとは対照的な、明るい部屋。白い壁が却って寒々しい印象を与える。
不思議な事に、他の部屋にあったような展示が一切なく、奥の部屋にある手術室へと私達は淡々と
進む。
冷たいタイル張りの診察台。雨も小降りになり、少し陽の光が強くなったので、部屋の中は一層
明るさを増す。夏の明るい日差しの中、まぶしいくらいの診察室で、生きた人間にメスを入れる…
そんな日がきっと過去に存在しただろう。完全に倒錯している。
入り口付近、地下への階段があったので降りてみると、やはりそこは遺体安置所だった。建物に
入る際に見た、あのスロープへの扉の正面に、ガラーンとした空間が広がっている。部屋は全部で
3つ。どれも薄暗く、しっとりとした空気が漂う。
正直広すぎやしないか、と面食らう。これだけの面積を確保するって余程…(以下略)。
見張りの塔が並ぶ。かつては右側にバラックがずらり…。
時間の関係もあったので、ガス室の跡までは足を運ぶことなく帰路についた。
政治犯収容所から、ユダヤ人絶滅のための収容所、そして戦後はソ連軍による収容所へと変化を
続け、冷戦時代には反ファシズムのシンボルとなっていたとの事。今の形になったのは、93年以降の
事で、第三帝国当時の姿をそのままとどめるものは殆どないらしい(ガス室はガチ)。
復元されたものを「セットみたい」とは言いながらも、生体解剖室の「何も無い生々しさ」にはやはり
言葉を失ってしまう。
…それにしても不思議に思う事がある。この収容所、街の中心部からものすごく近いのだ。
ベルリン近郊という事もあり、多くの人々が収容所へと運ばれた事だろう。
駐車場から収容所と案内所を眺める。右手はもう住宅街。
街の中心部からも程近く、収容所の横に立ち並ぶ住宅街。いつから住宅があるのかは知らないが、
生体実験はさすがに分からないにしても、ガス室で殺された人々の遺体が焼却される時、街の
人々は気づかなかったのだろうか?…でも気づいたところでどうすればよかったのか?
そんなことを考えると、ますます無力感だけがつのる。
