13.08.06
影も形もあるかもしれない[旅行・見物記]
8月に入ってから、こちらはすっかり涼しくなった。日本でいうと、丁度10月頃の爽やかな気候に
似ている。雨の日も増えてきて、街を行く人もジャケットを着ているのが増えた。
それでもテレビや雑誌では「夏!」「ナツ!」と言っているし、ドイツ人は相変わらずアイスを食って
いるが、もうアイスを食うには肌寒い気がするのが日本人としての正直な実感。
確かにカレンダー上は夏なんだけどさ。
そんな雨降る日曜日、ベルリン近郊のオラニエンブルクまで足を伸ばす。相方が車をゲットしたので
練習を兼ねて、アウトバーンを往く。目的地はザクセンハウゼン強制収容所。
収容所への入り口。
言わずと知れたアウシュヴィッツ、そしてダッハウの入り口にも掲げられていた「Arbeit macht frei
(働けば自由になれる)」のスローガンがここにも。
…しかしこの文句の白々しさはなんだ?と、こういった類の場所に来る度に思う。
電流の流れる鉄条網の前にはドクロマークの看板と共に警告が。「Neurtal Zone」とありながら、
容赦なく撃つぞとも書かれている。1961年に復元。
実際中に入ってみると、だだっ広ーい印象。というのも殆どの収容等は残っておらず、いくつか
建っているバラック棟も、当然だけど、後に復元されている。
小雨の降る中を、とぼとぼと歩く。
復元されたそれぞれのバラック棟の中では、収容者の生活ぶりといったテーマに沿った展示が
行われていた(英語&ドイツ語)。
しかし復元された建物って、壁も綺麗に塗られていて、何かのセットのようにしか見えないのは
私だけ?…と思っていたらどうやら92年にネオナチに放火されたのだという。左側手前、ガラスで
カバーされている所が当時の焼け跡。
棟内に入ると、油のような臭いが鼻についた。
ここには当初、国内の政治思想犯や同性愛者などが収容されていたが、戦争が進むにつれ、
シンティやロマ、ユダヤ人やポーランド人も送り込まれるようになっていった。
独房棟の横には拷問・処刑に使われたと思われる木柱がぼんやりと立っていた。
後ろ手に縛られて、2.5メートルの高さの柱に吊るされる…想像する前にもう、顔をしかめたくなる。
手前は独房の跡。そして奥の壁には犠牲者のための追悼碑がいくつも取り付けられている。
残念ながら修復中で見られなかったバラックもあったが、一番印象に残ったのは生体解剖室。
幽霊やそういった類はあまり信じないタイプだが、ここだけは写真を撮る気にはなれなかった。
なぜなら建物に入る前、入り口横にあるスロープを見てしまったからだ。他のバラックには当然
無いもので、きっとここから遺体を運び出したんだな、という事は容易に想像できる作りだった。
「病理実験」と称して、生きたままの収容者を切り刻んで死に至らしめるつもりだったのが傍目にも
分かるじゃないか、と思いつつ中に入る。
薄暗いバラックとは対照的な、明るい部屋。白い壁が却って寒々しい印象を与える。
不思議な事に、他の部屋にあったような展示が一切なく、奥の部屋にある手術室へと私達は淡々と
進む。
冷たいタイル張りの診察台。雨も小降りになり、少し陽の光が強くなったので、部屋の中は一層
明るさを増す。夏の明るい日差しの中、まぶしいくらいの診察室で、生きた人間にメスを入れる…
そんな日がきっと過去に存在しただろう。完全に倒錯している。
入り口付近、地下への階段があったので降りてみると、やはりそこは遺体安置所だった。建物に
入る際に見た、あのスロープへの扉の正面に、ガラーンとした空間が広がっている。部屋は全部で
3つ。どれも薄暗く、しっとりとした空気が漂う。
正直広すぎやしないか、と面食らう。これだけの面積を確保するって余程…(以下略)。
見張りの塔が並ぶ。かつては右側にバラックがずらり…。
時間の関係もあったので、ガス室の跡までは足を運ぶことなく帰路についた。
政治犯収容所から、ユダヤ人絶滅のための収容所、そして戦後はソ連軍による収容所へと変化を
続け、冷戦時代には反ファシズムのシンボルとなっていたとの事。今の形になったのは、93年以降の
事で、第三帝国当時の姿をそのままとどめるものは殆どないらしい(ガス室はガチ)。
復元されたものを「セットみたい」とは言いながらも、生体解剖室の「何も無い生々しさ」にはやはり
言葉を失ってしまう。
…それにしても不思議に思う事がある。この収容所、街の中心部からものすごく近いのだ。
ベルリン近郊という事もあり、多くの人々が収容所へと運ばれた事だろう。
駐車場から収容所と案内所を眺める。右手はもう住宅街。
街の中心部からも程近く、収容所の横に立ち並ぶ住宅街。いつから住宅があるのかは知らないが、
生体実験はさすがに分からないにしても、ガス室で殺された人々の遺体が焼却される時、街の
人々は気づかなかったのだろうか?…でも気づいたところでどうすればよかったのか?
そんなことを考えると、ますます無力感だけがつのる。
ザクセンハウゼンは私も行きたいと思っている場所のひとつです。ポーランドのアウシュヴィッツは行きました。行ってよかったと思っています。
拷問については、映画「Neunte Tag」では、収容所で高い十字架に乱暴に人を縛り付けて持ち上げ(当然その人は苛烈な苦しみに叫び声を上げている)、その人が十字架上で死体になるのを皆が眺めて通り過ぎるシーンがありました。また主人公(ヒトラー最期の日でゲッベルスを演じた人)が収容者の役を演じ、鉄の管からしたたる水滴を飲んでいるシーンがあり、いかにのどが渇いているかわかりました。
ヨーロッパ全土にこのような収容所があったと言いますから、「詩人と哲学者の国」ドイツの大きな汚点ですね。
「Der neunte Tag」は昨年のドイツ映画祭で見ました。拷問のシーンも生々しく、かなり重い映画でしたね。
食事の時間、司祭連のテーブルだけ優遇されているシーン(といっても少しだけですが)を見て、結構ショックだったのを覚えています。
収容所の中でも、彼らを連帯させまいとするたくらみが巧妙に仕掛けられているのを目の当たりにして、人間の罪深さに言葉を失いました。
各地の収容所で入場料を取らず、保存に努めているという事が、この国の歴史に対する責任感と、未来への使命を感じさせるような気がします。
Posted by: contra : 16.08.06 22:14お久しぶりです!元気ですか?
>各地の収容所で入場料を取らず、保存に努めている
どうして日本にはこういう姿勢がないんだろう?「日本はもう謝った」という人がいるけど、口ではなんとでも言える、問題は行動だなあとつくづく思いました。
Posted by: ミナガ : 21.08.06 10:50ご無沙汰しています☆
>どうして日本にはこういう姿勢がないんだろう?
実はドイツも若い世代になると、散々授業でやって「もううんざり」という感想を持つ子も多いそうです。
が、後世に語り継ぐことを辞めてしまえば、同じ過ちを繰り返すかもしれませんし…「歴史を語り続けること」の難しさを感じますね。
