記憶の断片へ[雑感]
友人たちが日本へ帰っていったのと同時に、数日来の湿気もどこかへ消えた。
日差しの中に居ても、時折吹く風を冷たく感じるようになった。空は東京に比べるとずっと広く、
軒を連ねるアパートの屋根に切りとられたような、くっきりした輪郭を感じるくらいだ。
なんだかこの空気はあの時に似ていると思う…今年もそうやって夏の終わりを感じる。
普段毎日を過ごしているとついついやり過ごす風景が急にいとおしく、何かとても貴重なものの
様に見えるのは、この「日常」の終わり・断絶を明瞭に意識したからなのだろう。
同じ季節、同じ風景に出会うことはもうないのかも知れないという気持ちが、わたしを空の色、
風の香り、街角の音へと向けさせる。感覚がそれらを懸命にとらえようとする。
またいつか同じように、この瞬間を「あの時」として再現するために。
人についてもそれは同様で、ずっと続くと思っていた関係に断絶の気配を感じた時、その感覚は
急に鋭敏さを増す。視線の動き、ちょっとした一言、些細な仕草ですら決して見逃す事はしない。
その人と共有した時間空間…そのすべてを記憶に刻むために。
そしていつかその人を「あの人」として再現するために。
この場所を離れることが、それへの準備とは思わない。
けれども脳裏の片隅からは一瞬たりとも離れることはない、別れの予感。
…はっはっは。それにしてもやや感傷が過ぎたようだ。
意外と楽しい作業[翻訳系]
最近取り引きの始まった会社からもらうのは、主に翻訳チェック。
今風にいうとマニュアルのローカライズというやつだが、何のことはない、輸出モデル用に取説を
翻訳しなくては…という事で、できあがったモノをチェックしている。
いつも英語からドイツ語に翻訳されたものを見ているが、これが結構楽しい。まさに日本にいた頃の
仕事と同じだし、やっぱり慣れてたのかなあ?勝手が分かっていて安心と言うことで、会社側からも
結構重宝がられ、有り難いことにどんどん仕事を割り振ってくれる。しかも結構まとまった量で。
…おかげでそもそもの独日翻訳を断らなくてはならない事もあり、ちょっと切ない気分。遊びにも
いけないしねえ…。
同じチェックでも、独日より英独でドイツ語をいじっている方が楽しいし、精神衛生上にも優しい
感じがするが、これはネイティブではないからなんだろうな。やっぱり、ドイツ語好きなのかなあ?
(それはないわ~、というツッコミが入りそうですが)
マニュアルの品質については用語やスタイルが特にポイントになるのか、うるさく言われる。とりわけ
日本の企業はその傾向が強いらしく、かつてネイティブの翻訳者がブーブー言っているのを耳に
したことがある。曰く、「クソ食らえ」だそうな。
すでにあるものをチェックするのはやっぱり楽…というと語弊があるが、どこまでも受け身。
自分が翻訳する時のように、訳語求めて頭をかきむしるような焦燥感はない。
そのかわり用語が統一されているかとか、文法がおかしくないかなんて、目を皿のようにして探す
のも結構な労力。ドイツ語の間でひっそりと「and」なんて単語を見つけると、宝でも探し当てた様な
気になるものだ。
翻訳と違う力と視点が求められ、それは自分が翻訳側に回る時に役に立つという事は、まあ承知
済みのことだしね。
こういうちまちました作業が楽しいなんて、やっぱり私も日本人なのね、と思ってみたりもするが、
それだけやっても、こっちで手にするマニュアルから間違いは消えないのは何でだろうね(思い
当たる節は多いけど)。
